「仕事後の一杯は」
働いていて何日かに一度はすごく酒がうまく感じる日がある。
それはきっとその日に自分なりにいい仕事をしたのか、それともそれなりでやり過ごしたのかで主観的に酒の味も変わってくるのだろう。
自分なりにでも納得をした仕事の日にはそれがたとえ発泡酒であろうが第三のビールだろうが抜群にうまいし、逆にやり過ごした日は高級生ビールであっても美味しいと感じない。
特にチームの部下(全て年上)との口論や軋轢があった日のビールは美味しくない。 二重の意味で苦く感じる。
どうして理解してくれないんだ、とか役付きの自分と契約社員では価値観やその他諸々のすれ違いもあるんだろう、とヤケ酒をついあおってしまう。愚痴も親しい間柄の仲間にこぼしてしまう。その後ですごい自己嫌悪に陥るのだが、精神衛生上、一つや二つ愚痴もこぼさないとやっていられない。
一から十まで説明しないと理解してくれないとか、周りは楽を考えるばかりの人間ばかりだと思ってしまうが、結局、基準や価値観が自分中心になってしまっているのかなぁ、果たして俺はリーダーとして引っ張っていけるだけの器がないなのかなぁと考えてしまう。
ただ、いずれにしても自分の子どもたちには楽な方に流されないような考え方を持った人間に育てていきたいとは思うし、毎日をやり過ごさないような充実した日々を送って欲しいと切に願っている。
結局、極論を言ってしまえば結婚もして子どもも生まれ、自身は30歳も過ぎこれから先の終着地点はおぼろげながら見えてきて自分の青春時代はひと段落ついた訳で、残された人生は家族のために不自由な思いをさせないようお金を稼ぎ、必要ときに必要な額のお金を使い、それから物事を勉強してきたことや経験したことを子どもたちに教えていくことが父としての使命なんだと思う。